2018-01-01から1年間の記事一覧

緒占石(おじめいし)と自然銅(じねんどう)

1枚目の写真は昨年上田創造館の講座で鉱物プレパラート作りをして観察した和田峠の柘榴石です。約1mm。 八木貞助(やぎ ていすけ 1879-1951)が和田峠の柘榴石について、緒占石(おじめいし)、菱石、菱形石と呼ばれた、緒締(おじめ)に加工された、土地の人…

中沸石 Mesolite の確認について

沢山産沸石類(蛇骨石)に中沸石があるという報告は、『地質学雑誌』等によると、昭和24年(1949)の齋藤光惠氏(小泉光恵 1923-2007) の研究が最初のようです。(他にもあるかもしれませんが。) 成分表の画像は、以下の論文の「第1表」より。 齋藤光惠「岩石…

九峯恒川重遠墓

恒川重遠(つねかわ しげとお じゅうおん? 1826-1882)の墓参をしたという方から場所を教えて頂いたので、行ってきました。 歴史の愛好家には、吉田松陰(1830-1859)や高杉晋作(1839-1867)と接点のある上田藩士 恒川才八郎として知られているかもしれません。…

保科百助の満韓地方視察計画

明治38年3月2日信濃毎日新聞に掲載された広告?です。 保科塾を始めて1年余りの頃、日露戦争中。(3月1日 奉天会戦) 直接的な表現はありませんが寄付金の募集広告でしょうか。 この広告の前、2月11日の演説会(明治38年1月28日と2月11日に「時局に関する通…

北御牧村の地層の研究

東御市 北御牧庁舎に文書館と市民交流サロンがオープン。文化財展示コーナーにアケボノゾウ化石、貝化石、植物化石等が常設展示されたとのことで、見てきました。 (ただし、一部、展示用ラベルの無い標本・資料があり、標本とラベルが入れ違っているものも…

別所層の崖

以前、化石さがしをした神川沿いの崖がコンクリート吹付になっていました。 地層観察はできなくはないですが、大勢で化石採集体験ができるほどの転石はもうないかも。 手前の辺りは、変質した石灰質の多い硬い泥岩があって、目に見えるような植物片・有孔虫…

二歩下がる?

2018年は保科百助(ほしな ひゃくすけ)(1868-1911)の生誕150周年ということで、先日ちょっとした勉強会がありました。そのとき『地質学雑誌』の記事を「インターネットで閲覧できる」と紹介したのですが「見つからない」とのご連絡があり… どうも消えているよ…

小さな氷瀑

もう溶けているかもしれませんが、山の沢で見た高さ3mほどの氷の滝です。 氷瀑のごつごつした表面は、出っ張ったところにさらにツララができて、北斎の波を思わせるような形。話は逆で、こういう自然の形から影響を受けて表現が生み出されるのかもしれません…

古東山道、東山道、望月牧

日曜日、立科町の歴史公開講座「蓼科山麓における古代の道と牧」に行ってきました。 東山道(律令期の行政区の一つ、及びその幹線国道)・古東山道(律令期以前の主要道路の一つ)や牧について、ほとんど知らなかったので大変勉強になりました。 具体的な古…

田中芳男展

長野県立歴史館の企画展「田中芳男-『虫捕御用』の明治維新」を見てきました。 12/16(土)~2/25(日)(月曜他休館日あり) 展示は撮影禁止だったので写真は外観です。 田中芳男(たなか よしお 1838-1916)は幕末・明治期の博物学者。文明開化の中心的人物の一…

天狗爪石(てんぐのつめいし)

先日、テレビの録画で鉄腕DASHのサメの歯漁具を見て、雲根志の天狗爪石を思い出しました。 「天狗の爪」は「サメの歯の化石のこと」と言われることもありますが、江戸時代には、他の動物の化石、雷管石、石器、骨角器、装身具、信仰に使われたもの、それらに…

鳴石(なるいし)の謎

諏訪部の鳴石(諏訪泉神社境内)を見てきました。江戸時代末の井出道貞『信濃奇勝録』に載っている石です。瓢箪形のくぼみとそこにある穴について書いていて、図ではくぼみのある側を前面としていますが、現在はそれが後ろ側になっていました。何か由縁があ…

植物化石の観察

上田創造館展示室の中新世の木の葉化石です。種類の説明はありません。現生や化石の木の葉の写真も展示して見比べられるようにしたら面白いかも。 1枚目の写真、左長さ約3cm、右約7cm。全縁?、披針形、側脈は直線的で多い?、基部は鋭形で付け根は丸い、ブ…

アカザ

川原で石ころ観察をしているとき、水辺の石を動かしたら、水中で何か動くので、見ると、アカザのようでした。体長は10センチほど。少し跳ねた後は逃げずにじっとしているので写真を撮ることができました。鰭に毒のある棘がありますが、こんなにのんびりして…

渡辺敏と保科百助

以下は、渡辺敏(わたなべ びん 1847-1930)の長野学校勤続15年祝賀会の新聞記事の一部で、保科百助(ほしな ひゃくすけ 1868-1911)が余興に演説をしたという話です。 信濃毎日新聞 明治35年1月30日 より ▲宴會《えんくわい》の餘興《よきよう》(?)としては…